Mag-log in朝、シュヤは異変に気づいた。
喉の渇きからくる痛みを覚えて目を開けると、隣で眠っていたマリがなにやら苦しそうに下腹部を抱えて体を丸めていた。
「マリ? 大丈夫?」
慌ててマリの背をさすると、マリはくぐもった声で歯切れ悪く答えた。
「……月のものが……きたかもしれなくて」
体が重くてだるい。下腹部に石でも入ったかのようにずんと鈍痛がある。途切れとぎれにマリは症状を打ち明けた。まだ出血が始まったような感覚はなく、少したてばよくなるだろうとマリは続ける。
「何かしてあげられることはある? 欲しいものとか、して欲しいこととか」
「ううん、大丈夫よ。それより、早く、採掘を始めなくちゃ……」
「そんな! 採掘は俺がやるから。マリは寝てたほうがいい」
必死に体を起こそうとするマリをシュヤは制止する。だが、マリは首を縦には振らなかった。シュヤの制止を振り切って上半身を無理やりに起こす。
「マリ!」
シュヤが非難の声をあげるも、マリは聞かなかった。
「みんなの役に立ちたいの」
「無理しちゃダメだ。ここに来るまでもマリは充分頑張ってたんだし、採掘は俺だけでもきっとやれるよ」
「私が言うみんなの中にはシュヤも入ってるのよ?」
空のように青く澄んだ瞳がシュヤを映す。意志の強さが宿った瞳が。
「蒼鋼は最低でも子供くらいの大きさだって。そんなのひとりで採掘してたら、きっと日が暮れちゃうわ。ここに長くとどまれば、シュヤだって体調を崩すかもしれない。そうなったら……」
マリはそこで言葉を切った。言われずとも先は簡単に予想がついた。シュヤも共倒れする。そうなれば、再び採掘者を選ばねばならない。国益が底をつくのと、次のカナリアが蒼鋼を手にするのと一体どちらが早いだろう。
国のため、民のためならば自らの身は惜しくないと考えるマリには、この状況で自分を優先させるなどという発想はないだろう。シュヤは理解し、だが納得はできずに歯噛みする。
マリの自己犠牲は美しい。賛辞に値する。まさに英雄だ。でも……。
シュヤの悔しそうな面持ちにマリは苦笑した。
「大丈夫よ。熱があるわけでもないし、体が冷えすぎたんだわ。温かいものを食べて、厚着でもすればマシになると思うの」
「……本当に大丈夫なの?」
「うん、大丈夫。私、みんなのためなら、シュヤのためならなんだって頑張れるわ」
そんな風に言われては、もはやシュヤがマリを止める手立てなどなかった。マリを愛していたし、マリの考えすべてを尊重したかった。
「わかった」
シュヤは、料理は自分が作ることや必ず体調に変化があったら無理をしないことなどを条件に取り付け引き下がる。マリもシュヤの要求を呑んで、食事ができるまで再び布団にもぐりこんだ。
約束通り、シュヤは朝食に温かいスープやパンを用意した。マリはそれを食べ、いつもよりさらに服を重ねた。さらには毛布で体を包み、
「これならシュヤも安心でしょう?」
とおどけたように笑う。シュヤにとってはマリが笑顔でいることこそが安心につながるのだが、マリはそんなことなど気づいていない様子であった。
体を温めたおかげか、体の重さに慣れたのか。マリはしばらくすると少し体調がよくなった気がするとシュヤに告げた。シュヤはそれを合図に片付けを始め、マリの荷物を左肩に、採掘の道具を右肩にかけて立ち上がる。
早く採掘をして洞窟を出よう。それだけが今、シュヤの考えるべきことだった。
いよいよ採掘に向けて広間と別れる時が来た。
「……それじゃあ、本当に無理しないこと。いいね?」
「わかったってば。シュヤは心配性ね。平気よ。さ、行きましょう」
マリに促され、シュヤは広間から続く一本道を先導する。昨日はマリが意気揚々と前を歩いていたが、さすがに今日それを許すわけにはいかなかった。シュヤは重たいカバンを両脇に、たいまつを掲げて先導する。
一本道はさらに下へと続いているようだった。緩やかな下り坂は次第に天井が低くなり、道幅も狭まった。たいまつは危険だと判断し、シュヤはロウソクに火を映して手持ちランプに持ちかえる。闇はより一層深まり、見える範囲も小さくなった。相変わらずガスのような匂いはないが、増長する圧迫感のせいか空気が薄いように思える。
景色の変わらぬ闇の中をあてもなく歩く行為は想像以上に精神を摩耗した。
シュヤは時折後ろを振り返り、マリの様子を確認する。マリはそのたびに優しく目を細めた。毛布を引きずる、ずるり、ずるりと言う音だけが一本道に響いている。マリが後ろにいるという事実だけがシュヤを前に進ませ、強くさせる。マリを守る。そのために自分が足を止めるわけにはいかない。一刻も早く採掘を終わらせ、洞窟を去らなくては。今更引き返すことなどできない。マリは月のものだと言ったが、それが洞窟のせいではないとは言い切れない。
想像よりも長く続いた一本道にもやがて終わりは訪れる。
どれほど進んだか、シュヤの目に突如青い光が映った。
「マリ!」
声をあげると、後ろからマリの「どうしたの?」という声が聞こえる。いつの間にかシュヤの歩調が速まっていたらしく、マリは少し遅れていた。シュヤは合流を待って、道の終点を指す。
「見て」
ランプを掲げれば、マリもその光に気づいたらしい。
「あそこに……、蒼鋼が?」
マリが静かに息を呑んだのがわかった。シュヤもマリも、その光を渇望していたのだ。
国を救う光。
――自由の、光だ。
「行ってみよう」
興奮を抑えきれず、シュヤの声が上擦る。「うん」と答えたマリの返事も緊張のせいか掠れていた。
無我夢中で歩く。青い光はどんどんと強くなっていく。近づけば近づくほど光は道の輪郭を際立たせ、やがてランプも必要ないほど周囲が明るくなった。
道の終わりはまたも開けた場所だった。その先が袋小路になっていることも、蒼鋼がそこにあることも明瞭にわかった。シュヤとマリは道を抜け、最奥の地、採掘場に降り立つ。
蒼鋼が全体像を見せる。
ふたりは言葉を失った。
そこにあったのは、子供ひとりぶんのサイズをした蒼く美しい鉱石であり。
正しくは、石になった少女の姿であった。
朝、シュヤは異変に気づいた。 喉の渇きからくる痛みを覚えて目を開けると、隣で眠っていたマリがなにやら苦しそうに下腹部を抱えて体を丸めていた。「マリ? 大丈夫?」 慌ててマリの背をさすると、マリはくぐもった声で歯切れ悪く答えた。「……月のものが……きたかもしれなくて」 体が重くてだるい。下腹部に石でも入ったかのようにずんと鈍痛がある。途切れとぎれにマリは症状を打ち明けた。まだ出血が始まったような感覚はなく、少したてばよくなるだろうとマリは続ける。「何かしてあげられることはある? 欲しいものとか、して欲しいこととか」「ううん、大丈夫よ。それより、早く、採掘を始めなくちゃ……」「そんな! 採掘は俺がやるから。マリは寝てたほうがいい」 必死に体を起こそうとするマリをシュヤは制止する。だが、マリは首を縦には振らなかった。シュヤの制止を振り切って上半身を無理やりに起こす。「マリ!」 シュヤが非難の声をあげるも、マリは聞かなかった。「みんなの役に立ちたいの」「無理しちゃダメだ。ここに来るまでもマリは充分頑張ってたんだし、採掘は俺だけでもきっとやれるよ」「私が言うみんなの中にはシュヤも入ってるのよ?」 空のように青く澄んだ瞳がシュヤを映す。意志の強さが宿った瞳が。「蒼鋼は最低でも子供くらいの大きさだって。そんなのひとりで採掘してたら、きっと日が暮れちゃうわ。ここに長くとどまれば、シュヤだって体調を崩す
三日目、夕暮れの迫る砂丘。本来であればテントを建てるべき時間だが、シュヤとマリはまだ歩いていた。 目的の地、蒼鋼の採掘場が見えていたからである。「あれだ……」 突然砂地の中に現れた大きな岩山は蜃気楼の奥、まるで水面に島が浮いているように見えた。逆光で黒くそびえるそれは今にもシュヤを飲み込まんとしている。くっきりと浮かび上がるゴツゴツとしたシルエットは、なだらかな砂地と果てのない空だけが続いている世界には到底似つかわしくない。そのせいで洞窟だけがこの世から切り離されているようにも思えた。 洞窟の奥から風の吹き抜けてくるような音が聞こえ、シュヤたちは足を止める。 互いに顔を見合わせれば、そのどちらの顔にも緊張と不安、喜びと興味が読み取れた。「ついたね」「うん、ついた……」 洞窟内にも獣はいないと聞いている。そもそも、洞窟の中には人体に影響を及ぼすほどのガスが充満しているのだ。長時間中にいて生きて出られるものはいない。わかっているのに、それでも少しの恐怖が足をすくませる。 ふたりの背後には夜が迫っていた。 朝になってから洞窟の奥へ進むべきか、それとも、今中に入ってしまうか。 シュヤが迷っているとマリが先に一歩を踏み出した。「中に入ってみない? 危険を感じたら引き返せばいいし、そうじゃないなら採掘は一日でも早いほうがいいでしょ?」 マリの言うことは正しい。国ではみんなが新たな蒼鋼を待ちわびている。国益はいつ底をついてもおかしくない。シュヤたちだって採掘が終われば自由になれる。まだ食料は潤沢にあるし、休むのは採掘が終わってからでもいい。
出発の日はすぐに訪れた。 そもそも準備は国の衛兵と医師による身体検査と家族や友人たちとの送別だけ。それ以上何かを待つ必要もなければ、現実問題として十年分の国益が尽きかけている状況で悠長にもしていられない。そんなわけで、最低限の出立の儀を済ませたふたりはカナリアに選ばれてから三日と経たずに国を出ることを決めた。 出発の日の朝。 採掘に必要な道具と一生を暮らして余りある金がシュヤに、採掘が完了するまでに必要な食事や水、寝袋などの生活用具はマリに渡された。 多くの人に見送られ、シュヤとマリ、幼馴染の少年少女の旅が始まる。 国から一歩も出たことがない子供たちはまず果てしない砂地に目を剥いた。 視界に見えるのは砂の灰がかった淡い黄褐色か空の青のみ。人の姿もなければ建物や動植物など見えるはずもない。同じ景色がどこまでも続く。あえて違いを探すならば、ところどころに転がった大きな岩の形や模様くらいだろうか。それも気休め程度だが。「なんだか、ずっと同じ場所を歩いてるみたい」「そうだね。目印もないし」 掴めない距離感に戸惑いと不安を感じながらもシュヤたちは衛兵から言われた通りに足を進める。国から洞窟までの距離は子供の足でも三日ほど。午前中は東から昇る太陽を右手に真っ直ぐ進み、午後は歩けるところまで歩く。日が沈むとすぐに暗くなるので、陽が西へと傾き始めたら寝床を準備する。絨毯を敷きテントを立てるだけだ。後は食事と暖を取って寝るだけ。これがもしも雄大な冒険譚ならば三日間の旅路の中で恐ろしい獣に遭遇してしまったり、嵐に見舞われたりするのだろう。しかし、これは冒険譚ではない。洞窟まで続く砂丘には獣もおらず風も穏やかで、野営をしたことがないシュヤ達にもやさしかった。 シュヤとマリは大人たちの言いつけをきちんと守り、一日目を難なく過ごした。&
大陸を南下したところに砂と岩に囲まれた小さな国がある。 照りつける太陽の熱で暖められた土地は水分を蓄えることができず、緑などほとんど見ることができない。 通常ならば人が住めるような環境ではないそこに国が生まれたのは、ある鉱石が採掘されたからだ。 鉱石の名は『蒼鋼』という。 美しくきらめく蒼の石は研げば細くしなやかな剣やナイフとなり、磨けば空を思わせる宝石となった。夜には星の輝きを蓄えて人々を照らし、昼間には凪いだ海のように生きるものを癒す。 不思議な力と魅力でもって多くの人を魅了した鉱石は瞬く間に大陸に広まった。 一方で、蒼鋼には国をひとつ作ってしまうほどの採掘事情があった。 蒼鋼はとある洞窟の中でしか採掘されない。大陸中どこを探しても他の地域では決して見つからなかったそうだ。さらには蒼鋼が採れる唯一の洞窟内にはガスが充満していた。このガスは人に悪影響を及ぼした。採掘できねば人々の生活に支障がでるが、採掘を続けると死者がでる。残酷な天秤を保つためには、そこに国家を築いて人を集め、流動的な採掘部隊と計画でもって管理するしかなかった。 こうして作りあげられた国は一時、栄華を極めた。 しかし、加工技術が進み、蒼鋼に頼らずとも他の鉱石で事足りるようになると、国は当然衰退を始めた。もともと人が暮らすには不便な土地だ。次第に人は減った。残った数百人の人間を国が徹底的に統治し、囲いこんで外へ流出させないことでなんとか国としての体面を保っているにすぎない。 そして今、国は蒼鋼の採取にあたっても特別なルールを設けている。 蒼鋼を採掘するのは十年に一度だけ。採掘に行けるのは十歳から十五歳までの少年少女、それぞれひとりずつ。選ばれしものには特権として自由が与えられる。すなわち、国外逃亡を許す
マリックは早速ミアを王宮へ連れ帰った。正しくは拉致か誘拐だと罵られるべき行動だったが、民たちにとってマリックは特殊な立場だ。それらはたちまち一種の婚約儀式あるいは運命の恋愛物語として昇華された。 呼びつけた駱駝車にミアを押し込め、隙間風すら許さぬようにきっちりと荷車の扉を閉める。直後、マリックは二十年の人生において今日は最も素晴らしい日だと実感した。――したはずだった。「おい、なぜそんな不満そうな顔をする」 王宮につき、ミアに侍女をつけ、風呂に入れ、着飾らせ、自分の部屋へと連れて来させたところまではよかった。 だが、肝心のミアがそれはもう大層な困惑と悲哀、そして怒りをマリックに向けたのである。「なぜ、このようなことを」 ミアは最小限の言葉で不平を口にした。 ミアは美しいだけではなく、聡明で勇敢だった。 だからこそ、権力にたてつき、マリックの機嫌を損ねてしまっては命がなくなってしまうことも理解している。しかし、だからと言って黙っていられるほど自分を卑下してもいない。ミアはまっとうに自分を大切にする方法も知っている。 彼女の批判はそれらを包括した口ぶりであった。 残念なことに、マリックのほうがそこを理解していなかった。自分に言い寄られて嫌がる女性などいないと信じて育ってきたし、自分の思い通りにならないことなどこの世にはないと疑ってこなかった。 だから、彼はミアの言葉の裏側を察しようともしなかった。「お前のことを気に入ったからだ」 あっけらかんとマリックは言い放つ。さらには、なるほどこの女は俺を前にして緊張しているのだなと、勘違いすることで自身の心
サラハは砂漠に湧き出た泉を中心としてできた国である。 砂漠の中心にありながら東西南北の大きな国々の交易路として栄えてきた。 その昔、サラハは国々を渡り歩く旅商人たちが休むためのオアシスであったが、そこに定住するものが現れ始め発展したのである。 今、そのサラハを統べるのはサーラの一族だ。交易や観光で得た金銀財宝を肥やしに成り上がり、国家の繁栄とともに王権は十三代にわたって続いている。 周囲に国がないため侵略に怯えることも争いが起こることもない。周囲を砂に囲われ行く当てのない民たちは当然反逆を企てることもない。オアシスに湧く水を国中に引いたことでサラハ全土にはいつだって最低限の食べ物や飲み物があり、緑も育つ。となれば、誰しも刺激はないが穏やかな暮らしを送ることが可能だ。砂漠という厳しい環境の中でもみな平穏を当たり前に享受して生きている。 それは次期国王と名高い王子、マリック・ル・サーラも同じであった。 生まれながらにして選ばれしもの。サラハの民であることを示す褐色の肌に、王家を象徴する群青の髪。見るものを虜にする碧い瞳は、サラハでは決して見ることのできない海を思わせる。整った目鼻立ちに均整のとれた体つき。甘い声色を兼ねそろえたマリックは、王や王女はもちろんのこと、周囲の大人たちから甘やかされて育ってきた。兄弟もおらず、親戚に年の近い子供も生まれなかったため、年々その状況に拍車がかかった。外の世界を知らず、すべてを意のままにできた彼は傲慢で傍若無人。気に食わないことがあれば腹を立て、騒ぎ、時には殺さぬ程度に制裁を加えることもあった。 マリックは満たされた生活にどこか不満や退屈を感じていたのかもしれない。 そんな彼の人生を変えるできごとが起きたのは、サラハに長い長い夏が訪れた日のこと。 マリックの興味を引きつけたのは、とある旅商人の噂だった。